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蒲田を23歳で離れて、久が原から鵠沼に移り住んだのが25歳ですから、郷土・大田区を出てから、かれこれ30年近くになりますが、この季節になると決まって思い出すのが、池上本門寺の御会式です。
小学校の低学年まで、物心ついてから母に連れられて、毎年かかさず御会式に出かけたものでした。
あれから、今年こそは御会式に行きたいと思いながら、40年以上一度も行っていないのですが…
今年は朝のラジオを聞いて御会式のことを知りました。大体、御会式が終わった頃になると思い出すので、後の祭りです。
当時も翌日の朝刊には、御会式の人出は約30万人とか報じられていました。
夏が終わる頃になると、近所の運送屋では万灯練供養には欠かせない纏(まとい)を出してきては練習に余念がなく、馬簾と呼ばれる上部の房飾りを勢いよく右に左に廻しているのを見かけました。
当日の10月12日は、現在住んでいる近くの片瀬・龍口寺からも万灯行列が池上本門寺へと向かいます。
池上駅から通勤の満員電車のような人波に押し倒されそうになりながら、一体、本門寺までどれくらいかかったものか、今では見当もつかないけれど、少なくとも1時間以上は押され続けたのではないでしょうか。
打ち鳴らされる団扇太鼓の行列と、纏を振り回す万灯行列、見物の大群衆とそれを規制する警察のスピーカーの大音量に圧倒され、もみくちゃになりながら行進し続ける興奮と疲労は、1時間もするとピークに達します。
本門寺のお山に上がると、境内の裏手までたくさんの小さな屋台が並んでいましたが、一際目立つ小体育館のような大きな屋台があって、おでん、お酒、ジュース、焼そば、くず餅、磯辺餅、お汁粉、子供のつけるお面やゴム動力の飛行機や連発式の竹鉄砲、土産物の纏や万灯のミニチュアなどが一堂に並んでいました。
その隣には見世物小屋があり、ろくろ首、シャムの双生児、狼少女などの、おどろおどろしい絵看板が並んでいました。
お山を下った所の入滅堂の手前には、伝説の御会式桜がこの季節に毎年いくつか花びらをつけていました。
当時は今では信じられないと思いますが、御会式が終わる頃になると炬燵(こたつ)を出していました。
だから、御会式の季節は炬燵の始まる季節でもあったわけです。
万灯や御会式の波うねり行く
御会式に母と夜明かし入滅堂
煌々と御会式桜五つ六つ
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