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> No.2673[元記事へ]
前回は、再度「ノルウェーの森」について以下のようなことを掲示板に書いたんだけれど・・・
昨夜読んでいたTHE MAN WHO GAVE THE BEATLES AWAY(ビートルズを手放した男)という原題で、1975年にALLAN WILLIAMSという初代マネージャーが書いた本の次のような記述が目に飛び込んできて驚いた。
1950年代末のビートルズがまだ無名時代で、食うや食わずの一文無しの頃のことである。
「陽気が寒くなってくると彼らはアパートの床でテーブルや椅子を燃やして暖をとるので、家具の類はとうの昔に失くなっていた。これは(画家の)モジリアーニが好んでしたことなので、彼らはボヘミアンを気取ったつもりで家具を燃やしたのだと思う。」
ジョン・レノンは美術学校の出身なので、顔と首の異様に長いポートレートで有名な画家モジリアーニのそのような生き方に共感していたのかも知れないし、また彼は少年時代から相当の乱暴者としてならしていた。
そして今回は、『ビートルズをつくった男〜ブライアン・エプスタイン〜』という世界で最も有名だったマネージャーの679ページに及ぶ大冊の伝記の404ページに、次のようなモジリアーニ影響説を補強し決定づける記述を発見した。
「ジョンとシンシアが新居に移ろうとしている頃、絵画や骨董品の蒐集を趣味にしていたレノンから、ある頼み事をされたブライアンは、喜んでその願いを聞き入れた。
ジョンはパリを訪れた際、モジリアーニの原画が75万ポンドで売られているのを見かけ、ブライアンに、ロンドンでその絵を見たいとねだったのである。」
やはり、前回の推測のようにジョン・レノンは画家モジリアーニが好きだったのだ。
その後、パリのモジリアーニのその絵はどうなったかというと…
「ブライアンはパリに飛び、いつもの気取った態度で、その絵を持って1日だけロンドンへ来て欲しいと画商を説得した。ブライアンは、画商が輸出ライセンスを貰えるよう申請書類にサインした。
ロンドンに戻ったブライアンは、クラリッジスの一室で贅沢なビュッフェ式昼食会を開いた。2時間が過ぎた。ブライアンがウェイブリッジに電話してみると、ジョンは眠っていた。彼がベッドに入ったのは明け方だった。
パリから画商を呼びつけたことや、ブライアンが手配した豪華な昼食会などにはお構いなしに、レノンはブライアンにこう言った。
『うーん、明日もう一度来るように言ってくれないか』
狼狽で顔を真っ赤にしたブライアンは画商に、必要ならその絵を買い取ると言った。
しかし、ビートルズのメンバーに会えるのを楽しみにしていた画商は、侮辱されたように感じ、憮然としてロンドンを去った。」
…ということなので、残念ながら、ジョン・レノンはモジリアーニのその絵を手に入れることはできなかったのだろう。
ジョン・レノンは、あと少し早くヨーコ・オノと巡りあっていれば、「早起きは三文の得」ならぬ75万ポンドで美術館級の超一級品を自らの手にしていたかもしれない…(笑)
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